ナショナルトレセンまで選ばれてプロになれなかった子のはなし その②

彼が産まれたのはとある小さい島だったそうです。

ど田舎で周りになんにもなかったので基本、虫取りをして育てていたんだとか。

そんな彼に小さい頃、お父さんが買ってきたサッカーボールがサッカーとの最初の出会いでした。

彼はそのサッカーボールでお父さんと遊んだり、一人で遊んだりしました。

そんな彼はテレビでサッカーを見たりすることもあって、「みんなでサッカーしたいな。」って言ったんだそうです。

離島で田舎過ぎてサッカーチームがなかった為、一人かお父さんとサッカーするしかなかった彼から自然に出た言葉でした。

小学校4年の頃、本島に引っ越します。

理由は彼にサッカーチームでサッカーをさせてあげたいというお父さんの想いからでした。

入ったチームはジュニアからジュニアユースまであるクラブで彼はサッカーを始め、メキメキと成長していきます。

今そのチームを見るとなかなかの強豪なのでその地域に狙って引っ越したのかも知れません。

恐るべし彼のお父さん。。

小学6年になった彼はトレセンに選ばれるようになりました。

そして県トレ、地域トレにも選ばれるようになり、ナショナルトレセンにも選ばれるようになりました。

ナショナルトレセンでも成長していき、将来を有望視され県内の強豪高校から誘われて入学します。

強豪校の誘いの少し後にJクラブ2チームから誘いが来たそうですが強豪校からの誘いを受けてしまった後だった為、断ります。

高校でも順調に成長していき、1年でもスタメンで試合に出るようになりました。

そして高校2年の試合での事。

高いボールを競り合った後、バランスを崩し肩から落下。

その場は試合に出たかったので肩の痛みを我慢して試合に出続けたそうです。

そして次の日も試合があったので肩の負傷は隠して出場。

その次の日は文化祭で病院には行かず、病院に行ったのはその次の日でした。

医者から「なんでもっと早く来なかったんだ!」と怒られるほどの大怪我で肩は内出血で真っ黒になっていたんだとか。

その怪我が原因で今でも相手と強く当たれなくなってしまいました。

しばらく怪我で試合には出れず、復帰しても今度は足の怪我で苦しみ試合に出たり出なかったり。

結局、3年最後の選手権はベンチにも入れず、そのまま引退。

大学の所属校なのでそのまま今の大学に入学して今はフットサルを楽しんでいます。

結果だけ見ると才能溢れる彼がプロになれなかった原因は怪我という事になります。

今でも相手と強く当たれずに股関節も痛いと言いながらプレーしている彼。

私がオーバートレーニングをやたら気にするのもそんな彼の姿を見ているからというのもあります。

どんなに才能に溢れていても。

どんなに練習を頑張っても。

怪我一つでプロへの道が閉ざされてしまう事もあるんです。

こんな悲劇は娘には味わって欲しくないので。

全力で娘を守ってあげたいと思います。

どこで彼の歯車が狂ったのか。

どうしたら良かったのか。

そして今の彼はどんな感じなのか。

この話は次で最後にしたいと思います。

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